台東区へ! ~上野恩賜公園~

ラミッツ
ラミッツ
2021年12月2日

山あり谷あり何でもある公園

自分は過去に2回、上野恩賜公園に行ったことがあり、一度目は小学生の修学旅行の時、二度目は7年前でした。
修学旅行の時の記憶はあまり覚えていませんが、科学博物館と動物園に寄ったかと思います。どうであったか全然覚えてません。
7年前は不忍池を見に行ったのですが、当時はデジカメを持っておらず、ケータイかスマホで写真を撮っていたため、データが行方不明です。その時は不忍池の出店の方に絡まれたことは覚えています。
3回目の今回は、しっかりデジカメで不忍池を撮ること、予定の時間内に公園内の名所を片っ端から撮っていくプランで臨んでいきました。

今回の上野恩賜公園は、東京観光の一つであり、1日で数々の東京のスポットを行くので、上野恩賜公園での滞在時間は約30分の計画でした。
世界遺産、都市公園、桜の名所、動物園、美術館、博物館、資料館、大学、図書館、文化会館、神社、寺、池、球場、全てが揃う、街のような公園の上野恩賜公園、もちろん約30分内ではすべてを見ることができませんでした。

着いたときは夜でした。暗くて不忍池の撮影は暗くて困難であったので、諦めた時に西郷隆盛像が光っていたため、撮影しました。
ただ、今回の東京観光の予定は上手くいかず、日帰りから急遽一泊することになったため、翌日にまた、不忍池へ行くことができました。

やはり昼間に来るのが良いですね。一泊に変更してもタイトなスケジュールのままでしたが、ボート池から上野駅へ向かう道のりの中で撮影できました。スカイツリーが奥に見えて、上野公園の木々が少し黄色や赤になっていました。桜の名所として有名な上野公園ですが、秋に来るのも良いものだと思いました。池の蓮は夏の時期程ではありませんが、池の水面が見えないくらい葉がしっかりと開いていました。撮影時期は10月下旬でした。

上野公園の歴史を簡単にまとめると、元々は山でした。

1625年、江戸時代の三代目将軍の徳川家光が、江戸城の北東の方角にある上野の地に、寛永寺というお寺を建てました。北東の方角から病気や災害がやってくるという言い伝えがあり、その出入りである鬼門に、お寺を建てて江戸城のお守りのような存在でした。芝公園の増上寺と並ぶ権威の大きいお寺であり、将軍のお墓があるほどでした。

1868年、江戸時代末期に戊辰戦争が起こり、寛永寺がある上野は焼け野原となりました。

東京大空襲にて焼失、再建された寛永寺の弁天堂、周りに不忍池がある

1870年、明治時代になり、野原になった上野に学校か病院を建てる計画があったが、視察に来たオランダの医師であるアントニウス・ボードワンの提案により、公園を造ることになりました。上野公園の生みの親であるボードワンは、現在の上野公園に銅像があるのですが、撮り忘れてしまいました。

1873年、日本初の公園として上野公園が誕生しました。同時に芝公園も公園となりました。明治政府が公園制度を始めた時です。

1875年、上野の山と不忍池を含む上野公園が完成し、1876年に開園しました。開園当時に博物館(現在の国立博物館、日本最古の博物館)が内務省が管理していて、上野公園は博物館所属の公園でした。

1890年、内務省から宮内省の管轄に置かれましたが、1924年に東京市の管理となり、上野公園から上野恩賜公園と呼び名が変わりました。東京市は現在の東京都であり、この年から変わらず都立公園となっています。

最後に、西郷隆盛と上野の関係は、調べていてもわからなかったのですが、薩摩藩出身者が中心になって銅像の計画を行ったようです。高村光雲により造られました。1898年に除幕式が行われ、時が流れるにつれて西郷さんの銅像は上野公園の象徴的な存在になりました。
西郷隆盛は、勝海舟との会談により江戸城の無血開城を実現した人物であり、東京を変えた一人です。西郷さんのおかげで、東京、日本が現在のように大きく発展したと言っても過言ではないでしょう。
上野恩賜公園の歴史を学ぶと、次回行く時には違った見方になるでしょう。旅は余裕を持って見学することも、今回で学び、深く反省することになりました。

上野駅の出口を出ると上野恩賜公園があるので、是非行って見てください‼

ラミッツ
秋葉原駅 北側

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