文京区へ! ~東大赤門~

ラミッツ
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東大の長老、赤門

日本の代表的な大学と言えば、東京大学でしょう。学力や研究、功績など日本にとどまらず、世界でも有名な大学だと思います。
その東京大学には、本部である本郷地区キャンパス、駒場地区キャンパス、柏地区キャンパス、白金地区キャンパス、中野キャンパスと大きく5カ所に分かれ、東京都内と千葉県にあります。
今回訪ねたのは、本部の本郷地区キャンパスはさらに本郷キャンパス、弥生キャンパス、浅野キャンパスと隣り合っていますが、道路を境に分けています。3つのキャンパスを合わせると広大な敷地になります。
本郷キャンパスの中には、歴史的建造物がたくさんあり、登録有形文化財も数々あります。本来ならば見ていきたいのですが、学び舎である上で大学の中は関係者以外の人間は立ち入ることができません。各門には警備員が常駐しています。
ならば門だけでもいいから、ということで東大の代表的な門を見に行きました。

門は閉ざされていて、手前に柵がありました。この状態ならば人が写らず、気兼ねなく撮影できます。しかし、昼間の大学なのに閉まっていることは不思議なことです。

その理由は東大の中で一番古いからです。具体的には2020年に耐震基礎診断により、耐震性能が低く危険であるためです。だから入れないように柵があるわけです。当日(2021年10月)は工事していなかったため、誰もおらず、足場や重機もありませんでした。赤門は重要文化財に登録されているため、もしかしたら耐久性を確保する工事をいつかすると思います。柵がある赤門の姿は、赤門の長い歴史の中で稀に見られる光景だと思います。貴重な写真の一枚になりました。

東大が誕生する前、江戸時代の本郷キャンパスの大半は加賀藩上屋敷がありました。附属病院周辺には富山藩や大聖寺藩の屋敷、弥生・浅野キャンパスには水戸藩、安志藩の屋敷がありました。
赤門は1827年に加賀藩主前田家に溶姫(第11代将軍徳川家斉の息女)を迎えるために造られました。
将軍の姫を迎えるにあたり、門を作るために加賀百万石の力である資金を費やし、両端に番所を設けたしっかりした門を造りました。赤く塗った理由は、御守殿の門である慣例のようです。

明治時代になると、屋敷は新政府の所有となり、明治9年に屋敷跡地に東京医学校が設立されました。(現在の東大医学部)
翌年の明治10年に東京開成学校との統合により、東京大学が発足されました。
赤門は倒壊や焼失なく明治時代に入っても残され、東大の所有となりました。
大正時代には関東大震災が発生し、大学内の建物は全壊しましたが、赤門だけは被害を免れました。因みに現在の正門・門衛所は、関東大震災の前である1912年(明治45年)に建てられたのですが、被害がほとんど無かったようです。
安田講堂は当時建設中であったので、被害の跡が見られなかったそうです。
東京大空襲の時は一部火災が発生したものの、赤門、正門、安田講堂、その他の被害がありませんでした。本郷キャンパス内は大正時代から昭和戦前の間に建てられたものが多く残っていたから、歴史的建造物、登録有形文化財がたくさんあります。
また赤い門は、焼失しても再建を許されない慣習が江戸時代からあるため、江戸の街中にあった他の赤い門は、火事や空襲で焼失したので残されていません。

以上のことから、赤門は本郷キャンパスで最古の建造物であり、シンボルになっています。道路から見える赤門は誰でも見れるので、観光名所の一つとも言えると思います。
ただアクセスには注意が一つあります。
地図上で東大の近くに上野恩賜公園がありますが、不忍池から赤門へ行くとなると、大学の中を横断しても徒歩10分以上かかります。迂回して大学の周りを歩いていくと倍以上かかるので、上野恩賜公園と東大は近いと思わず、地下鉄南北線の東大前駅か都バスを利用して行くことを強くお勧めします。もちろん赤門専用の駐車場はありません。

ラミッツ
秋葉原駅 北側

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