横浜市へ! ~横浜赤レンガ倉庫~

ラミッツ
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今年の冬に生まれ変わる!

みなとみらいのシンボル

横浜市の中区から西区にかけて、横浜港に沿って新都心再開発が行われた「横浜みなとみらい」があります。
みなとみらいといえば赤レンガ倉庫ですが、今年の5月9日から行っている大規模改修工事のため、現在は館内に入ることはできません。
今年の12月上旬にリニューアルオープンし、新規出店の18店舗も加わり赤レンガ倉庫初のリニューアルとなります。
どのように生まれ変わるのか、リニューアルオープンが待ち遠しいですね。赤レンガ倉庫が竣工したのが1911年、それから約110年間はどのような存在であったのか、振り返っていきます。

赤レンガ倉庫の生涯 歴史

1859年に横浜港が開港し、それから半世紀は日本を代表する貿易港として急速に拡大していきました。次第に取り扱う貨物が多くなり、手続きを待つ貨物が港にたまってしまうために、急遽倉庫を建設することになりました。その倉庫が赤レンガ倉庫のことです。
赤レンガ倉庫は新港ふ頭にあるのですが、まず新港ふ頭を整備するところから始まりました。新港ふ頭は横浜港の中で税関埠頭として、赤レンガ倉庫の建設とまとめて整備しました。

1906年に新港ふ頭が完成し、1911年に赤レンガ倉庫二号館、1913年に一号館が完成しました。
当時の最先端技術が、新港ふ頭及び赤レンガ倉庫にふんだんに組み込まれています。
新港ふ頭には赤レンガ倉庫の他に積み下ろし待ちの貨物を保管する倉庫(上屋)、クレーン、鉄道を、日本で初めて港湾に備えました。その名残が現在も残っていて、鉄道が汽車道、クレーンがハンマーヘッド、そして赤レンガ倉庫といったものが、近代化産業遺産として経済産業省に認定されています。
赤レンガ倉庫には、荷物用エレベーター、スプリンクラー、防火扉、避雷針を日本で初めて備えた建造物です。当時のトップレベルの防災対策として建物の材質に選ばれたのが、レンガでした。レンガは一棟で約318万個使われ、全て国産品を使用しています。
耐震補強のためにレンガに鉄材を埋め込まれた、定聯鉄構法という技術を導入されています。しかし、このような最先端の技術があっても、災害を防ぐことができませんでした。

1923年、関東大震災が横浜を襲いました。完成から10年経過した一号館は、中央部分が崩れてしまい大きな被害に遭いました。対して二号館は一号館の被害の約3割程度の被害に留まり、最新技術であっても災害の破壊力の方が上回ってしまいました。
関東大震災を機に、レンガ造が主流であった建築様式が鉄筋コンクリート造に切り替わりました。内側に鉄筋コンクリート造の補強壁を取り付け、1930年にようやく再スタートをしました。
一号館は倒壊部分をなくし、半分くらいに縮小しました。一号館と二号館の大きさが違うのは、この出来事からでした。

1945年、第二次世界大戦がはじまると貿易が途絶え、赤レンガ倉庫の役目が軍事物資の保管庫と変わりました。横浜空襲などの戦災は免れたものの、戦後は赤レンガ倉庫を含む横浜の施設は、アメリカ軍によって接収されました。
1956年、約十年間アメリカ軍の接収から解除され、戦前のように税関倉庫として再び稼働しました。この辺りの時代は高度経済成長期と重なり、貿易が急増しました。産業の変化によって取り扱う貨物に工業製品が多くなっていきました。1974年に年間約90000トンの貨物を取り扱いました。入港船舶トン数、取扱貨物量ともに記録を更新しました。

手前に一号館、奥に二号館
赤レンガ倉庫の第二の章
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