立川市へ! ~国営昭和記念公園~

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飛行場がイチョウ色に染まる公園に!

立川市は、東京のほぼ中心にある国分寺市の西隣にあります。現在の東京都の市の中で、八王子市に次ぐ2番目に市として成立した所が、立川市です。1940年に市制になった当時は、東京市(特別区)を含むと3番目となり、戦前から多摩地域の都市の中で栄えていました。

江戸時代以前の歴史を調べてみたのですが、大きな話題がなく、五日市街道(江戸と奥多摩を結ぶ街道)沿いの集落だったようでした。
大きな変化があったのは明治時代に入ってからでした。大きな出来事は2つあります。比較的平坦な地形である立川周辺は、近代の発展に必要な資源でした。
一つは、1889年に現在のJR中央本線の新宿駅から立川駅の間が開通しました。立川がルートに選ばれた理由は不明ですが、恐らく平坦な地形が鉄道に適した地形であったことと、土地が手に入りやすかったことが考えられます。
もう一つは1922年になります。立川飛行場の開設です。こちらも広大で平坦な地形が理由に挙げられます。以前に東京国際空港(羽田空港)で少し触れましたが、羽田空港ができる前の立川飛行場は軍用民間共用であったため、こちらが空の玄関口となっていました。
二つの交通の発達により、飛行機関連の工場をはじめ工業や商業が発展して立川に人が集まり、3番目(現2番目)の東京都の市になった訳です。

現在も立川飛行場がありますが、開設当時に比べると小さくなっています。現在の地図で確認すると、立川飛行場の周りに国営昭和記念公園があります。
察しが良い人は気がつくと思いますが、国営昭和記念公園は元々立川飛行場の土地でした。
直線的で広い敷地、まさに何かがありましたと悟っている地形です。

羽田空港ができてから立川飛行場は、専ら軍用飛行場となり軍用施設でした。戦争が終わると飛行場はアメリカ軍のものとなり、1977年に全面返還されました。

以前飛行場があったと思えないくらい自然に囲まれた公園内

アメリカ軍から立川飛行場の返還が進む中で、1975年に昭和50年記念に50周年記念事業を検討していました。1981年に返還された一部を記念事業の都市開発をすることに決定し、整備開始しました。
そして、1983年から国営昭和記念公園が開園しました。

※国営昭和記念公園は、立川市と一部昭島市となっています。今回は歴史の観点により立川市側の視点となりました。

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