三鷹市へ! ~井の頭恩賜公園~

ラミッツ
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古くから生活を支えた泉

東京都三鷹市と武蔵野市にある井の頭恩賜公園へ行ってきました。三鷹市と武蔵野市は、南に三鷹市、北に武蔵野市と南北に隣り合っています。東京都内では中央の東寄りで、多摩地域に絞ると東端にあります。世田谷区、杉並区、練馬区と特別区の西部と隣接しています。

公園の概要

井の頭恩賜公園も、今まで紹介してきた公園と同じく、とても広い公園です。
公園は中部と、東部、南部と中部が武蔵野市となっていて、東部と南部が三鷹市と分かれています。
中部に動物園や雑木林と御殿山、動物園があります。
東部は井の頭池、水生物園、野外ステージがあります。東部と南部は繋がっておらず、行き来する場合は中部を通っていきます。南部は三鷹の森ジブリ美術館、運動施設があります。
その中で東部のみの散策であったため、題名は三鷹市としました。今回は東部の紹介となります。

井の頭池

こちらは井の頭公園の東部にある井の頭池です。前回紹介した石神井公園の三宝寺池と同じく、こちらも武蔵野台地からの湧水が水源となってる自然池です。他に杉並区にある善福寺池と合わせて武蔵野三大湧水池と呼ばれています。井の頭池は神田川の水源となっていて、池の南東から都心を通って隅田川と合流します。
井の頭池は比較的細長い形をしていて、池に何本か橋が架かっています。上の写真は一番西にある弁天橋から撮影した写真です。撮影当時は12月で、若干ですが池の周りの紅葉が残っていました。春になると、橋の上から池の周りの満開に咲く桜の花が見えて、例年多くの観光客が見に来ています。有名な桜の名所となり、日本さくらの名所百選に登録されています。
写真の奥にはボート乗り場があります。

歴史

井の頭池の西側には御殿山に遺跡があり、縄文寺時代の住居跡や石器などが発掘されました。縄文時代からライフラインの水をくむため、池の周辺で生活していた光景が想像できます。長い時代に渡り湧水があったことがわかります。

この写真は、先ほどと同じ弁天橋から反対側を撮影した写真です。正面には井の頭弁財天があります。こちらは平安時代に創建されたもので、現在の建物は昭和初期に再建されたものです。弁財天は弁天と呼ばれ、水の守り神であるので多くの海や池の周りに祀られています。鎌倉時代末期に、元弘の乱により焼失されました。

数百年の間は手付かず、江戸時代の三代将軍徳川家光により、再建されました。弁財天の南側に徳川家光御切付旧跡の石碑があります。それは「井之頭」と名付けられたものといわれています。
江戸の市中を流れる神田川の水源であるため、江戸の町民にとって井の頭池は大切な水がめでした。水の出所である井戸の井と、最も上流である頭を合わせたものを、家光が辺りのこぶしの木に「井之頭」と小刀で刻んだことが石碑になっています。この頃から井之頭と呼ばれるようになりました。

少し時代が遡りますが、江戸時代の初代将軍徳川家康が、この辺りで鷹狩りを行ったことと、この辺りが三つの村に跨っていたことを合わせて、三鷹という地名になったと言われています。
鷹狩りの休憩に眺めのいい所に御殿を建てたことから、御殿山という名になったことも伝えられています。
また、井の頭池の水を汲んでお茶をたてたことも、井の頭池の北西の看板に書いてありました。

それから井の頭一帯は幕府によって保護され、明治時代に入ると東京府が買収しました。
1889年(明治22年)に宮内省の御用林となりましたが、1913年(大正2年)に東京市に下賜しました。
1917年(大正6年)に恩賜公園となって開園しました。上野公園が上野恩賜公園と名前が変わったことも、宮内省からの下賜されたので、両公園名に恩師がつきました。
また、井の頭恩賜公園は初の郊外公園となり、今年で105年迎えました。

紅葉の見頃
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