大田区へ! ~東京国際空港~

ラミッツ
ラミッツ

もうすぐ100年の歴史

羽田周辺は干潟であり、江戸時代後期に新田開発された地域でした。幕末になるとお台場と同様に、防衛のために砲台が設置されました。
明治時代は、羽田にある穴守稲荷神社の参拝客を輸送するために京浜電鉄穴守線が開業され、現在の京浜急行空港線の始まりになります。当時の羽田周辺は穴守稲荷神社の他に運動場や海水浴場もあり、観光地として栄えていました。
1910年に、代々木公園で日本で初めて飛行機の飛行に成功し、国内で航空機が増えていきました。
大正時代に関東地方を襲った関東大震災が発生し、当時の物資輸送の主流であった鉄道が壊滅してしまいました。それから飛行機による物資輸送が重要となりました。
当時は立川に飛行場があったのですが、民間も軍用も多かったため、飛行場を増やすことが余儀なくされていました。新飛行場を建設予定地を、都心にも近く土地に余裕がある羽田が選ばれました。
昭和に入った1931年に羽田空港が完成し、航空輸送が始まりました。
1940年代になると、日中戦争や太平洋戦争、第二次世界大戦の最中になり、羽田空港が民間から軍用に使用されました。
1945年、戦争が終わると、羽田空港はアメリカ軍に引き渡され、アメリカ軍によって住宅地を取り壊され羽田空港を拡張していきました。
1952年、ようやく羽田空港は日本政府に返還され、東京国際空港と改称しました。この時はまだ一部返還でしたが、6年かかって全面返還されました。
1964年の第一回東京オリンピックに向けて、東京国際空港は国内外の航空会社の就航により幅広くなり、空港周辺にホテルを建てたり、東京モノレールの開業によって空港へのアクセス向上など、多くの利用者を受け入れる準備を整えました。
その結果、離着陸の航空機をさばききれないほど混雑するようになり、首都圏にもう一つの空港を1962年に、成田国際空港の建設が決まりました。16年後の1978年に新東京国際空港(成田国際空港)が開港し、国際線を成田、国内線を羽田と分けられたのですが、中国への便は羽田発着のままでした。
2002年に、日韓共催ワールドカップが開催されるにあたり、韓国便も羽田発着になりました。
2010年にD滑走路の拡張に伴い、再びアジア圏以外の国際線も発着するようになりました。

以上で簡単な歴史を紹介しました。

空港として利用する羽田空港であれば、飛行機や景色、ショッピングを楽しめる施設でもあります。空港として利用する方は、ターミナルを間違えないように注意して、良い旅になっていただければいいなと思います。

ラミッツ
品川駅 南側

2件のピンバック

コメントする