
墨田区へ! ~両国国技館~

迫力ある相撲の聖地
久しぶりの東京観光シリーズです。こちらは総武線が乗り入れる両国駅の近くにある両国国技館を見に行きました。初の試みで夜の撮影に挑戦しました。

月の明かりがとても明るくて、天然のライトアップとなって国技館を照らしていました。同じ墨田区内にある東京スカイツリーも見えていました。
国技館と聞くと、昔からあるような建物のように聞こえますが、実は二代目にあたり、先代は総武本線より南の京葉道路沿いにあったようです。
江戸時代より前はいくつかの国に分かれていて、江戸は武蔵国と呼ばれていました。現在でいえば埼玉県と東京都の大部分と神奈川県の東半分を合わせた範囲が武蔵国でした。
しかし、武蔵国は隅田川が国の境界であったため、隅田川の西側は武蔵国、東側は下総国となっていました。下総国は千葉県の北部にあたる地域であり、両国は下総国の中にありました。ただ、この境界は17世紀までであり、どのように境界が変わったか現在でもわからないようです。
江戸時代に武蔵と下総を往来するために隅田川に橋を架けるようになり、境界を跨ぐことで両方の国に架かる橋として、両国橋と呼ぶようになりました。
1904年の明治37年に、当時私鉄であった総武鉄道(現在のJR総武本線)が千葉から東京へ鉄道を敷き、近くある両国橋から両国橋駅と名称がつきました。次第に両国と呼ばれるようになり、両国駅と正式名称になったわけです。

しかし、両国橋駅の開業当時は鉄道で隅田川を渡る橋は架けれず、総武鉄道の駅で一番東京に近い駅が両国橋駅となったため、東京と総武鉄道の往来ができる両国橋駅は繁栄していきました。
さらには東武鉄道が両国橋駅に乗り入れるようになり、千葉方面だけでなく北関東方面にも往来できるようになりました。
1907年、明治40年に総武鉄道が国有化されました。
やがて旅客だけでなく、貨物列車も来るようになり、両国橋駅は渋谷駅や池袋駅を越えるターミナル駅となりました。
1923年、大正12年、関東大震災が発生し、ターミナル駅であった両国橋駅にはかなり被害を受けました。駅舎は倒壊しなかったのですが、高架橋だった総武鉄道の線路に被害を受け、復旧に一ヶ月以上かかりました。
関東大震災による震災復興で、都心部の区画整理により総武本線を御茶ノ水駅まで延伸し、両国橋駅のターミナル機能が離れていきました。

1984年、昭和59年、両国にある空いた貨物駅に、二代目である現在の両国国技館が完成しました。
初代国技館
1909年、明治42年に旧国技館は完成しました。現在の国技館より丸み帯びたデザインのようでした。しかし、1917年、大正6年に一階ある売店から火災が発生し、全焼しました。
再建するものの関東大震災が発生し、再び焼失しました。
現在の国技館が完成するまでの相撲は、名古屋で開催したり、後楽園球場(現在の東京ドーム)や神宮外苑など屋外で開催されました。
蔵前にあった蔵前国技館でも開催されました。

現在の国技館は相撲以外にも、プロレスやコンサート、ロボット相撲の大会、24時間テレビの会場など、多方面で使用されています。
2020年東京オリンピックではボクシングの会場としても使われました。
様々な競技や会場として活躍する両国国技館、特徴的なデザインを生で見るだけで感動しました。撮影当時は夜であり、何も行われていなかったので柵がされていました。中に入れる機会があれば、中の様子も見てみたいです。
両国駅のすぐ近くにあり、総武本線の他にも地下鉄大江戸線も乗り入れいるので、両国駅で降りた際は生の両国国技館を見てはいかがでしょうか?

1件のピンバック
江東区へ! ~東京都現代美術館~ | 風景お届け人 ラミッツ