横浜市へ! ~横浜ベイブリッジ~

ラミッツ
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平成生まれの横浜の救世主

横浜港の上空を渡る、横浜ベイブリッジの紹介をします。
今では横浜のシンボルといえるベイブリッジですが、千葉県市川市からお台場、羽田、川崎を通り、横浜市の南部の金沢区へ続く、首都高速湾岸線の橋脚の一つとなっています。
首都高速湾岸線は、東京都心部の慢性的な渋滞を回避するために、東京湾の湾岸に通した道路で、レインボーブリッジアクアラインと接続していて、1990年代から2000年代に着々と開通していきました。

開通前の問題

渋滞問題は東京都心部に限らず、横浜市街地も渋滞問題に直面していました。原因として、1960年代の高度経済成長期によって自動車が多く普及したことと、横浜と東京、間の川崎の人口が多い地域を通ることが挙げられます。1960年代の東京と横浜を行き来する道路として、第一京浜から第三京浜がありました。1968年に都県境を越えるようになった首都高速1号横羽線が開通しても、増大する交通量に追い付かず、渋滞が頻発していました。
打開策となったのが、東京や横浜の都心部を回避する東京湾岸道路の構想が挙がりました。

埋め立て地が点在する湾岸地域は当然陸続きになっておらず、橋脚工事が多くなってしまいます。東京港や多摩川、川崎港や横浜港など、海や川を越える橋が多くなり、港付近では船の航路を確保するため、高い所に橋を架ける必要があります。多摩川に関しては、近くに羽田空港があるので高い所に建設すると、航空機の離発着に影響が出てしまうため、多摩川羽田周辺は長いトンネル工事にする必要があります。
このように湾岸線の建設には課題がたくさん発生していました。

横浜港の構造

横浜港は江戸時代から現在まで、日本を代表する国際貿易港として日本の重要な物流の拠点となる港です。港の開港によって、港町横浜が発展し、さらに京浜工業地帯の貿易港となり、港の役割が大きくなりました。
横浜港には東の大黒ふ頭から南の八景島桟橋まで、12か所もふ頭や桟橋があります。そのなかで、南本牧ふ頭と本牧ふ頭、大黒ふ頭は横浜港の中でコンテナターミナルとなっていて、コンテナ船が着岸するため外側にあります。
対して内側に大桟橋などがあり、大桟橋に発着するのは客船が主になります。他にも新港ふ頭があって海上保安庁の庁舎があります。現在は観光地になっているみなとみらいはもともと造船ドックがあり、横浜港の中でもそれぞれのふ頭や桟橋に役割があります。
今回着目する点はコンテナを扱う本牧ふ頭や大黒ふ頭です。船から降ろしたコンテナを、陸送するためにトラックへ積みます。そのコンテナを積んだトラックが、それぞれのふ頭から高速道路までの市街地で渋滞にハマってしまい速達性が悪くなってしまうため、直接高速道路へアクセスするために湾岸線のルートに本牧ふ頭と大黒ふ頭を組み込んだとされています。
本牧ふ頭は陸続きになっているのですが、大黒ふ頭は島式になっています。当時は鶴見へ行く大黒橋しか架かっていないため、横羽線は近かったものの東名高速道路(西)へのアクセスは容易ではありませんでした。ましてや首都高速神奈川7号横浜北線や横浜北西線、さらに東名高速道路横浜青葉ICも供用されていないので、現在と比べるとかなりアクセスが悪かったと思います。
やはり大黒ふ頭から西へ本牧ふ頭への架け橋は急務であると思えます。

ベイブリッジの工事
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