
川崎市へ! ~アクアライン~

苦労、困難、大盛況を迎えた道
誰もが知っているであろうアクアラインですが、川崎市と木更津市を東京湾を横断する高速道路であります。川崎側はトンネルに対し、木更津側は高架橋になっていて、中心のトンネルから高架橋に切り替わる所に、休憩所の海ほたるパーキングエリアがあります。
カーブがほとんどなくて走りやすいと思いきや、トンネルから高架橋に切り替わる構造になっているので、高低差が凄まじい高速道路です。交通量が多くなると事故や渋滞が多発する危険な道路になってしまいます。
このアクアラインは1997年開通し、当時は最先端の技術によって建設された道路でした。

アクアライン開通前
東京湾を横断する構想は1961年から始まりました。東京湾の湾岸は工業地帯となっていて、川崎は京浜工業地帯、木更津は京葉工業地域となっています。どちらも火力発電所や製鉄所が多く、川崎と木更津は京浜・京葉の工業地帯の玄関口である工業港として担っていました。そのため、物資の輸送によりお互いを往来するトラックが多く、渋滞が頻発していました。アクアラインが無かった当時のルートは、東京湾岸を通るので必ず東京を通過します。そのため東京に交通集中してしまうための解決策として、東京湾の横断構想が挙がりました。
1964年、東京湾横断による小型カーフェリー、マリンエキスプレスが川崎港と木更津港間の運行を開始しました。渋滞なしで一時間半(90分)かかっていたところを、航路により70分と時間短縮されましたが、一度に運行する容量や頻度に限りがある欠点がありました。アクアライン開通する1997年まで、東京横断の交通手段として活躍しました。
アクアライン開通の同年に廃止されました。
1971年の当時の計画は、川崎と木更津の両端は高架橋にして、中央はトンネルにする構想でした。トンネルにする理由として、東京港への航路の確保、羽田空港に離発着する航空機のルートの確保により、全てを橋脚にすることはできませんでした。
しかし、1985年にこの案は変更されて現在のように川崎側をトンネル構造にすることになりました。理由は東京港へ行く船舶の航路が川崎側に集中していることと、羽田空港が川崎に近いので高度の制限があることが挙がります。
トンネルの掘削方法は世界最大のシールドマシン(外形14.14m)で海底を掘削する工法し、建設期間中の船舶の運航への影響を減らす目的でした。
1987年に工事が開始しました。当時シールド工法による前例が少なく、大口径での海底掘削に至っては前例がありません。

工事の様子
約10㎞のトンネルの中間に、換気口の風の塔がある人工島があります。この人工島はトンネル掘削において重要な拠点となります。
トンネルは上下二本を掘削するため、川崎側から二機、木更津人工島(現在の海ほたる)から二機、川崎人工島から上下2本を両方向へ四機、合計八機のシールドマシンによって掘削工事を行いました。
しかし、トンネル工事はなかなかの難工事となりました。海底の軟弱地盤と高水圧により、約10年間の長い戦いとなりました。
川崎人工島の他に、川崎側のトンネル入り口にも換気口を設け、ピラミッドのような建造物があります。
建設当初は見事な四角錐でしたが、近くにある羽田空港への離発着による高度せいげんにより、頂上部分はカットされました。

