文京区へ! ~六義園~

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将軍徳川綱吉が認めた、当時のままの庭園

江戸時代の東京(江戸)は、参勤交代によって全国各地から大名が集まる街でありました。その大名が江戸で過ごすための屋敷が数多く存在していました。
しかし、明治時代に入ると屋敷があった土地は政府のものとなって壊されたところもあれば、宮内省や寺か一般の方が所有する場合があります。現在まで庭園として残っている土地は後者の方が多いと思います。

今回紹介する六義園もその中の一つにあります。

1695年、加賀藩の下屋敷の跡地だったところを、5代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が所有することになり、7年かけて造りました。
1702年に完成した六義園という名前は、中国の和歌の分類の六義から由来されたものです。和歌を基に作り上げた庭園は、将軍徳川綱吉が度々来るほど評価されています。
明治時代に入ると、数々の屋敷が政府に接収される中、六義園はある人物のものとなりました。
その人物は、三菱の創始者である岩崎弥太郎が別邸として購入しました。その後しっかり整備され、六義園は姿を変えずに現在まで残っています。
1938年、六義園は岩崎家から東京市(現在の東京都)に寄贈され、有料で一般公開されるようになりました。
1953年に特別名勝に指定されました。六義園の外側を囲う赤煉瓦の塀は、岩崎家が購入した際に造られたとの情報がありましたが、実際の赤煉瓦の塀にある情報は戦後に建てたもので、文化財として整備するためと書かれていました。

ここから庭園の中を紹介していきます。写真は10月に撮影したもので、紅葉になる前の時期でした。回遊式築山泉水で池を中心に、周囲を回遊して鑑賞できるようになっています。
入口をくぐると、最初に見れる池畔を出汐湊といい、池の大泉水や中の島が見える眺望に恵まれているところです。
大泉水は、造園時に玉川上水から江戸城に通すための千川上水から引いて池を掘りました。
池に浮かぶ中の島には妹山と背山があり、妹山は女性、背山は男性と例えて男女の間柄を表現しています。

出汐湊の対岸へ周ると、丘の上に小屋があります。もともと平地だった土地ですが、起伏のある景観にしようと、土をもって丘を築きました。丘の上の小屋は明治時代に入ってから、つつじの古木材で建てたもので、戦災の被害に遭うことなく現在に残っています。奥にはモミジがあり、秋には美しい風景が見れると思います。
ちなみに、入口をくぐってすぐの所に、大きなしだれ桜があります。こちらは恐らくもうすぐ見ごろになると思います。見てみたいです。

六義園は駒込駅に近く、徒歩7分で着きます。駒込駅はJR山手線、東京メトロ南北線が乗り入れているので便利です。また、都営三田線の千石駅から徒歩10分で行くこともできます。桜の時期は混雑すると思いますが、是非行ってみてください!

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