松本市へ! ~松本城~

ラミッツ
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2021年7月29日

漆黒の現存天守閣と鮮やかな櫓

長野県の中央にある松本市、松本盆地の中にある五重天守の平城、松本城です。
松本城は外堀と内堀の二重になっていて、外堀を渡ると公園が広がり、博物館もあります。内堀を渡る橋は2本の内の一本のみ、黒門をくぐると庭園が広がり、天守閣が堂々と迎えます。
庭園には桜が見事に咲いていましたが、400年以上現存している天守閣は見過ごすわけにはいきません。
戦国時代に、全国各地に多くのお城が建てられましたが、明治時代には廃城令が出され、多くのお城が処分された中、現在でも残っている天守閣は大変貴重です。解体される危機があった松本城ですが、どのように免れたのか、どのように維持してきたのか、松本城の歴史を見ていきます。

戦国時代、江戸時代

戦国時代の初期(1500年代)に、信濃(長野県)を守るために守護である小笠原氏によって築城されました。当時は深志城と呼ばれていました。
戦国の世が激しくなっていき、甲斐(山梨県)の武田信玄が信濃を侵略し、深志城は武田軍の信濃の拠点となりました。
1582年に武田軍が滅亡し、武田軍の領土が織田、徳川軍のものへ変わりました。しかし、数か月後に本能寺の変によって織田信長が襲撃され、甲斐、信濃、上野(群馬県)の支配を巡る争いがおこりました。(天正壬午の乱)
その後、越後(新潟県)の上杉景勝が信濃へ進出しました。当時上杉軍にいた小笠原貞慶が深志城を奪還し、再び小笠原軍のものになりました。
この頃に松本城と改名しました。

1590年、豊臣秀吉が小田原征伐し、小笠原貞慶の長男の秀政が下総(千葉県)へ移され、松本城には石川数正が入城し、城と城下町の整備を行いました。
江戸時代に入り、豊臣軍の力が弱まり、再び小笠原秀政が入城し、松本藩の藩主となりました。

月見櫓

松本城の特徴である月見櫓は江戸時代に増築されたものです。徳川家光が善光寺に行く途中に松本に立ち寄ると聞いて増築したのですが、善光寺の参拝は中止になったようです。

近代

明治時代、廃城令により全国のお城を取り壊す命令が出されました。当時の大蔵省が松本城の天守閣を売却しました。買ったのは市川量造、地元の新聞社社長でした。
市川量造の努力により、天守閣の取り壊しを免れました。しかし、維持は困難が続きます。
荒廃が進み、天守閣が傾いてしまいました。待ったをかけたのが、地元の松本中学校長の小林有也の呼びかけでした。天守保存会を設立し、明治の大修理を行いました。明治の大修理により、再び危機を防ぎました。
戦争による大きな被害はなかったものの、老朽化の対策となる修理や復元を行い現在に至ります。

2011年、長野県中部地震が発生し、松本市には震度5強の揺れが起きました。松本城の壁に複数のひびが入ったようですが、400年物の天守閣は倒壊せずに、現在は天守閣の中に入ることができます。
天守閣の展望、月見櫓の内部、様々な機構を見ることができますが、急な階段、低い屋根、には注意して進んでください。警備の方が各所に駐在しているので、案内をしてくれます。松本城で使われた火縄銃などが展示されていました。

まとめ

歴史を辿ってみると、危機が続いていましたが、様々な巡りあわせによって松本城は救われてきていることがわかりました。築城した小笠原家や、近代には買い取り、修理した方々、全て地元の人たちでした。松本城を守っていく思想は築城から現在まで続いて、世界遺産登録を目標に整備や管理がされています。
どんなことが起きても松本城は生き続けてほしいと思います。

ラミッツ
上田市 周辺

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