
台東区へ! ~隅田公園~

桜と花火咲く東京復興のシンボル
2020年から流行したコロナウイルスにより、人々が集まるイベントの中止が相次ぎました。2021年も流行が収まらずに、二年連続で恒例イベントが中止になったところがたくさんありました。2022年はコロナウイルスが少し落ち着き、イベントが復活した情報がちらほら聞きますが、最近になって流行が増え、引き続き中止になったイベントがあります。
その中の一つに、隅田川花火大会があり、2020年から三年連続中止となりました。例年はこの時期に開催し、隅田川が賑わっていたと思います。

個人的な話を入れますが、浅草寺に行った際に隅田公園に寄りました。こんなに間近でスカイツリーを見たのが初めてで、見れて良かったです。花火大会当日であれば、この辺りに花火は打ちあがったのではないかと思います。

隅田川は花火以外に桜の名所としても有名です。隅田川に架かる言問橋付近にある隅田公園は、日本さくら名所百選に選定されています。公園の様子は暗くて見えないのですが、川の両岸の緑地になっている所が隅田公園です。
隅田川と桜の歴史は古く、江戸時代には桜並木があったと言われています。八代将軍の徳川吉宗の計らいによって桜を植えられ、当時から花見の季節には出店があって賑わっていたそうです。
しかし、吉宗の将軍時代である1732年は、大飢餓とコレラの流行によって多くの死者が発生しました。
吉宗は多くの犠牲者の霊を弔うため、隅田川で川施餓鬼を催しました。翌年も川施餓鬼を開催し、慰霊と悪病退散を祈るため、水神祭を実施して花火を打ち上げたことにより、両国の川開き、後の隅田川花火大会の始まりと言われています。
その後、花火大会は毎年行われたものではなく、や無負えず中止になった年もしばしばありました。明治維新や第二次世界大戦などがあげられます。
1923年、関東大震災により東京は壊滅的な被害を受け、復興事業の一環で隅田公園が整備されました。
もちろん整備されたのは公園だけでなく、隅田川の東西の交通整備です。震災後には隅田川に、多くの橋が架けられました。東京湾から
- 相生橋 清澄通り
- 永代橋 永代通り
- 清州橋 清州橋通り
- 人助け橋 ※唯一、関東大震災の被災せず多数の人命を救ったことから名前が付けられました。老朽化により、現在は1977年に開通した新大橋となっています。 新大橋通り
- 両国橋 国道14号(京葉道路)
- 蔵前橋 蔵前橋通り
- 厩橋 春日通り
- 駒形橋 浅草通り
- 吾妻橋 雷門通り
- 言問橋 国道6号
- 白髭橋 明治通り
- 千住大橋 国道4号(日光街道)
- 尾竹橋 尾竹橋通り
などが挙げられます。木橋から鋼橋に替えて、多くの自動車が渡れるようになりました。
このように、関東大震災の復興により隅田川は大きく変わりました。

隅田川の歴史を遡ってみると、どんな困難があっても先人たちの知恵と努力により、街が発展していき美しい風景を生み出していることがわかります。
いつかまた、隅田川花火大会が行うことを願って、自分のできることをやっていきたいと思います。昼間や春の隅田公園に、再度行きたいと思います。

